やっちゃえ!オッサン よしのケンジです。
日本全都道府県を巡るアラウンド47に取り組んでいます。
和歌山市内を旅行するとき悩むのが移動手段。
電車の本数も多くなく、バスだとどこに向かうのか少々不安。
和歌山城や紀三井寺と見て回るのに、徒歩ではちょっと距離が離れています。
でもレンタサイクルを使えば、思い通りに旅を楽しむことができます。
地方観光の強い味方レンタサイクル
地方の旅行では移動手段の確保が重要です。
効率良く目的地を回るためには、待ち時間を少なく移動できる交通機関を選択する必要があります。
でも和歌山市のような地方都市では、公共交通機関の本数が少ないか、そもそも電車・バスが走っていなかったり。
レンタカーやタクシーを使えば楽ですが、駐車場が目的地近くに見つからなかったり、タクシーが直ぐに捕まらなかったりという心配もあります。
だからといって、徒歩で移動できる範囲は限られている。
そんな場合には選択肢としてレンタサイクルを検討してみましょう。
和歌山市観光は自転車向き
ゴールデンウィークに旅行したときに、レンタサイクルを利用しました。
どうしてかって。
それは次のような三つの理由からです。
一つ目:手軽
和歌山市内は比較的フラットな街で、自転車で小回りの効く移動が可能だから。
駅前に自転車を借りることができる拠点があった。
二つ目:気軽
移動しながら、気の向くまま立ち止まって景色を見たり、写真を撮ったりしたかったから。
自転車であれば、駐車場の場所や空きを気にすること無く、ちょっと停めることができます。
三つ目:効率的
電車・バスの本数が多くないため、公共交通機関での移動では待ち時間が多く発生してしままいます。
限られた時間を無駄なく使って、少しでも多くの場所をめぐりたかったから。
わかちかレンタサイクル
調べたところ、和歌山市で2箇所のレンタサイクルを見つけました。
- 和歌山駅前の「わかちかレンタサイクル」
- 和歌山城内の「和歌山城レンタサイクル」
今回は、わかちかレンタサイクルを利用しました。
観光交流センター
わかちかレンタサイクルは、観光交流センターで借りられます。
観光交流センターは、和歌山駅の中央口(西側)から出て、地下に降りた「わかちか広場」にあります。
和歌山の二つの駅
ちなみに、和歌山駅と和歌山市駅というよく似た名前の駅が二つがあるので注意してください。
全く違う場所です。
和歌山駅
和歌山県和歌山市美園町五丁目61
和歌山市駅
和歌山県和歌山市西蔵前3-1
利用申込を記入
レンタサイクルを利用するため観光交流センターに入り、まずカウンターで利用申込用紙を記入します。
合わせて、観光情報も確認しておきましょう。
観光地図をもらうことも出来ます。
鍵を受け取り、出発です。
電動自転車を借りることにしました。
わかちか広場の目の前にエレベーターがありますので、そこから地上に出ます。
和歌山城へ
最初に、和歌山城へ向かうことにしました。
和歌山駅からは、まっすぐ県道17号線を進みます。
自転車で約10分も進むと、一の橋と大手門に着きました。
案内板に一の橋と大手門の由来が説明されています。
和歌山城史跡解説
「一の橋と大手門」
大手門(追手門)とは白の内郭に入る正面の門です。和歌山城は天正13(1585)年に羽柴(豊臣)秀吉の命で弟の秀長が築城し、家老の桑山重晴を城代として置きましたが、この時は岡口門が大手門でした。慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いの後に和歌山城主となった浅野幸長は、城の大規模な修築を行いました。浅野期の途中で内郭の北東部のこの位置に橋をかけ、門を設置して大手としたのです。紀州徳川家もひき続きここを大手としましたが、橋を「市之橋」、門は「市之橋御門」と呼んでいました。それを寛政8(1769)年から「大手御門」と改称し、橋は「一之橋」に変えたのです。
大手門は高麗門形式の門で土塀や多門が連なり、西の石垣には月見櫓が建っていて、一の橋には高欄擬宝珠が付けられていました。『紀伊国名所図会』を見ると、登城する重臣たちは橋の手前で駕籠や馬から降りなければならず、同道した重心の家来は槍を立てかけて待合所で待機しています。
大手門は明治42(1909)年5月に倒壊しましたが、昭和57(1982)年3月に再建され、翌年3月には一の橋が架けかえられました。
和歌山城です。
でも、ここには駐輪場が無いため、もう少し先のわかやま歴史館まで進みます。
途中にあった撮影スポット
一の橋からわかやま歴史館へ移動する途中に、撮影スポットがありました。
「御橋廊下」越しに和歌山城が見えます。
こうやって、目に付いたときに直ぐに停められるのもレンタサイクルのメリットですね。
この日は、雲の多い天気でした。
城内へ
わかやま歴史館に到着しました。
脇に沢山自転車が停められている場所があったので、そこに自転車を停めます。
一旦昼食を済ませてから城内をめぐることにしました。
和歌山城は、虎伏山というふたこぶになった低い山に建ち、北を紀の川に守られる要害です。
さすが徳川御三家紀州藩のお城だけあり、広いです。
石垣も大規模で、ももしここを攻めるとしたらかなり骨が折れると想像できます。
紀州藩は「暴れん坊将軍」の第八代徳川吉宗を出しました。
(写真は、和歌山県立近代美術館前のものです)
和歌山駅から大手門に掛けての和歌山城北側は、フラットな地形でした。
でも、和歌山城の南側である和歌山県立近代美術館との間を通っている三年坂通りは、こんもりとアップダウンがある地形です。
御橋廊下
一の橋からわかやま歴史館へ移動する途中に見えた「御橋廊下」は中に入ることができます。
木の床で傾斜があるので、滑らないように気を付けながら歩かないと・・・
御橋廊下とは、説明版によると
史跡和歌山城 復元・御橋廊下(おはしろうか)
御橋廊下は、藩主とお付きの人だけが二之丸と西之丸を行き来するために架けられていた橋で、屋根を設け、外から見えないように部屋の廊下のような作りになっていました。斜めに架かる廊下橋としては、全国的にもめずらしい構造です。
和歌山市では、和歌山城整備計画の一つとして、平成11年(1999)から御橋廊下復元工事のため史料調査や発掘調査を行い、堀底から礎石や瓦などが出土しました。これらの成果にもとづいて、御橋廊下が復元されました。
紅葉渓庭園
地形をうまく利用した立体的な庭園です。
紅葉溪庭園については、西之丸についての説明板に記載がありました。
西之丸
西之丸は、紀州藩初代藩主徳場和頼宣(1602〜1671)の隠居所として築造されました。
江戸時代に描かれた「和歌山西丸図」は、西之丸に建っていた建物や庭(現在の名勝・紅葉渓庭園(もみじだにていえん))などをくわしく描いています。これによると、御座之間(御上段、御次、御三之間)や御数寄屋、そして松の樹の横には能舞台などの施設があり、また、内堀の一部を利用した庭園には、地形の起伏を巧みに利用して懸造り(かけづくり)構造の聴松閣(ちょうしょうかく)や水月軒(すいげつけん)と名づけられた茶室が建っていたことがわかります。さらに、堀につき出た鳶魚閣(えんぎょかく)や西之丸と二之丸を行き来するための御橋廊下が堀上に架けられていたことがわかります。
このように、西之丸は藩主の隠居所として築造されましたが、能や茶道などの数寄を楽しみ、また自然風雅を楽しむ所でもありました。
※ふりがなは著者追記
天守閣へ
天守閣に上ってみることにします。
天守閣は有料です。
料金:大人410円
和歌山城史跡解説
「天守郭と天守閣(てんしゅぐるわとてんしゅかく)」
天正13(1585)年、羽柴(豊臣)秀吉の命で弟の秀長がまず築城したのが、虎伏山(とらふすやま)の山頂部分です。秀長は家老の桑山重晴を城代として置き、ここに天守を建てました。天守閣の一段下の北西にあった蔵が、その時の天守だとの説があります。慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いの後に城主となった浅野幸長は、高さ約49mある西方のこの峰を「本丸」とし、黒板張ですが、ほぼ現在の形に近い天守閣を建てました。
元和5(1619)年に徳川頼宣が入国すると、「天守郭」と呼ぶようになります。天守閣は大天守から時計回りに多門、天守二之御門(楠門)、二之御門櫓、多門、乾櫓、多門、御台所、小天守へと続く連立式天守です。三階建ての大天守は不定型な地盤に制約され、一回の東側と西側が二棟を結合した珍しい比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)となっています。
寛政10(1798)年に黒板張から白壁となりますが、弘化3(1846)年の落雷で焼失しました。天守再建は通常は許可されませんでしたが、御三家ということで認められ嘉永3(1850)年にほぼ元のまま再建されます。ただし、楠門へ入る階段の位置が異なるなど、一部違いがありました。天守閣は昭和10(1935)年に国宝に指定されますが、昭和20年7月9日の和歌山大空襲で焼失しました。しかし昭和33年、市民の努力で復元されたのです。
※ふりがなは著者追記
天守閣からは見渡せる景色
天守閣からは四方に展望が開けています。
北方面
和歌山の街の先には、北に和泉山脈があり、和歌山城との間には紀の川が流れています。
紀州は、万が一西国大名が江戸方面へ攻め上って来ることを想定した、徳川幕府の備えの地の一つです。
西国からは、大阪、京を経て、東国へ抜ける攻撃ルートになります。
その場合、陸路で大阪城を攻めてきたとしても、海路で進んできたとしても、和歌山城からは敵の脇を付く援軍として攻め上げられる場所に位置します。
万が一、情勢劣り攻められた場合も、和泉山脈と紀の川で二重の守りで防御する要害になっています。
南方面
南も山です。
紀三井寺が見えます。
西方面
西に海で紀伊水道
東方面
東の山が途切れている間を紀の川が流れてきています。
この後は、和歌浦方面へ行ってみます。
アラウンド47にプラス1
今回、和歌山県を巡ったのは初めてでした。
前日の徳島県に続いて、アラウンド47をまた一つ達成です。
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