【里と海二つの「田」風景:受け継がれてきた棚田と塩田】能登半島一日で一周!

奥能登の里と海二つの「田」風景歴史

やっちゃえ!オッサン よしのケンジです。

日本全都道府県を巡るアラウンド47に取り組んでいます。

奥能登には、二つの「田」の風景があります。

一つは、海に迫る幾何学模様の「棚田」

もうひとつは、日本で唯一揚げ浜式製塩が受け継がれてきた「塩田」

里山里海の恵みと共に、人の営みの歴史を感じることが出来る。

絶好のドライブコースに行ってみましょう。

里山里海ドライブロード

(2018年8月初旬の晴れた暑い日)

輪島の街を出発。

ここからは、左手に青く広がる日本海、右手には緑の映える里山田園風景が続きます。

輪島の街を一望

途中の峠に、車を停められる場所がありました。

振り返ると、輪島の街が一望できます。

輪島の街を海越しに眺める

先ほどまで居た輪島キリコ会館の方に、クルーズ客船の「ぱしふぃっくびいなす」が見えました。

429 Too Many Requests

そのまま右に顔をめぐらすと、日本海の海原

青い海が気持ちいい!

輪島の日本海の海原 、青い海が気持ちいい

遠くの島まで見渡せます。

輪島の海で遠くの島まで見渡せます

白米千枚田

輪島市街からは車で10分少々で、白米千枚田に到着。

輪島市街から車で10分少々で、白米千枚田に到着

ここは、能登の里山里海を代表する景観です。

輪島の定番観光コースになっているようですね。

大型観光バスも停まっていました。

里山の濃い緑が、田んぼの明るい緑になり、青い海へと落ちていく

素晴らしい絵です。

白米千枚田は、里山の濃い緑が、田んぼの明るい緑になり、青い海へと落ちていく

千枚の 青田渚に なだれ入る

(佐藤春夫)

本当に「千枚」ある!千枚田

「千枚田」と名付いていると、通常は千枚=沢山の意味で比喩や誇張表現のことが多いですよね。

でも、ここ「白米千枚田」は本当に千枚以上の田んぼがあります

その数、1004枚!

名前に偽りなしです。

しかし、田んぼの一部では、稲が植わっていない様子。

連日の猛暑による日照りなのか、耕作放棄なのかでしょうか?

白米千枚田380年の歴史

それにしても、能登のあちこちで見える景色なのですが、海のすぐ際まで田んぼが迫っており、水利も大変だろうに苦労が偲ばれます。

、海のすぐ際まで田んぼが迫っている

そして白米千枚田は、道の駅 千枚田ポケットパーク 輪島・白米千枚田に車を停めて、田んぼのあぜ道まで降りていくこともできます。

白米千枚田は、道の駅 千枚田ポケットパーク 輪島・白米千枚田に車を停めて、田んぼのあぜ道まで降りていくこともできます

さて、景色も素晴らしい白米千枚田ですが、実は長い人の営みが重ねられた歴史の地でもあります。

ここに水路が整備されたのが、1638年(寛永15年)なので、380年前ですね。

江戸時代、第三代将軍 徳川家光の頃です。

日本初の世界農業遺産

そして今、日本初の「世界農業遺産」であり「日本農業の聖地」が冠されています。

白米千枚田は日本初の「世界農業遺産」であり「日本農業の聖地」

世界農業遺産・日本農業の聖地

白米千枚田(しろよねせんまいだ)

  • 【全体面積】40,051平方メートル
  • 【枚数】1,004枚
  • 【収穫量】年間約6t(コシヒカリ7割:能登ひかり(早生)3割)

日本海に面し自然の形状を活かし、大小さまざまな田が1,004枚連なり、古くから「田植えしたのが九百九十九枚あとの一枚蓑の下」と唄われています。

昔ながらの人の手による米づくりを続けている白米千枚田は「日本農業の原風景」であり、「日本農業の聖地」です。

かつて日本の山間地に多く点在していた棚田は、効率性・採算性を挙げることが難しいため、基盤整備または耕作放棄と減少している現代にあって、白米千枚田は地元農家と多くのボランティア、そして棚田オーナー制度によって工作が続けられ美しい景観が守られています。

ここに携わる人々の想いが込められたお米からは、たとえ一粒でも「MOTTAINAI」を実感させてくれます。

  • 1638年 板屋兵四郎により水路が整備される
  • 1956年 輪島市文化財指定名勝
  • 1990年 千枚田ポケットパーク整備
  • 1991年 日本米づくり百選
  • 1994年 手づくり観光地百選
  • 1996年 水の郷100選
  • 1999年 全国棚田100選
  • 2000年 石川県指定文化財名勝
  • 2001年 国指定文化財名勝
  • 2007年 千枚田オーナー制度開始
  • 2011年 能登の里山里海が世界農業遺産に認定
  • 2013年 千枚田ポケットパークリニューアル
  • 2014年 日本農業の聖地として登録

あえのこと

田の神様を自宅に招いて、一年の収穫に感謝し、翌年の豊作を願う行事です。かつては奥能登一円の農家で行われていましたが、現在ではここ白米町のほか数ヵ所に残るのみです。

(「白米千枚田」|道の駅 千枚田 ポケットパークの説明版より)

ユネスコ無形文化遺産「奥能登あえのこと」

この説明版に書かれている「あえのこと」ですが、

「奥能登あえのこと」として平成21年9月、石川県内初のユネスコ無形文化遺産として登録されています。

年に二回、次のように執り行われると言うことです。

  • 12月5日は目に見えない神を自宅に迎え、入浴後にごちそうを振る舞う。
  • 2月9日は豊作を祈り、同様に神を送り出す。

白米千枚田イルミネーション

白米千枚田では農閑期にイルミネーションが行われるそうです。

あぜのきらめき(白米千枚田|輪島市交流政策部観光課)

あぜのきらめき

10月8日から3月11日

棚田のあぜに設置した21000個のソーラーLEDによるイルミネーション。ピンクから黄色に30分ごとに切り替わる。

(のとねっと|能登の旅 情報センター より引用)

日本唯一、珠洲で受け継がれた「揚げ浜式塩田」

白米千枚田から、更に東へと車を走らせます。

輪島から能登半島の先端である珠洲市に続く道では、塩田をあちこちで見かけます

「塩街道」と名付けられています。

輪島から能登半島の先端である珠洲市に続く道では、塩田をあちこちで見かける塩街道

観光用の塩田もあり、体験もできるようになっています。

その内のひとつである「道の駅 すず塩田村」に立ち寄りました。

道の駅すず塩田村

「道の駅 すず塩田村」仁江海岸に隣接し、塩田村資料館体験塩田を併設しています。

「道の駅 すず塩田村」は仁江海岸に隣接し、塩田村資料館と体験塩田を併設

塩田資料館・体験学習

塩田村資料館の入館料は大人100円、小中学生50円です。

塩田の体験学習は1人500円〜3500円と書かれていました。

塩田村資料館の入館料

でも別の案内板では・・・

体験料:2時間:大人2,000円、小人1,000円

となってる?

でも別の案内板では違う料金が記載されている

実際の料金は、予約の際に電話で問い合わせてください。

道の駅すず塩田村のホームページで確認すると【要予約】となっています。

なお、塩づくり体験できる期間は、5月1日〜9月30日となっています。

伝統の「揚げ浜塩田」

ここの辺りで受け継がれているのは、約500年前から伝統の「揚げ浜式塩田」です。

「揚げ浜式製塩法」では、塩田に海水を撒き塩分を含んだ砂を集めて濃い海水を取り出し、釜で焚き煮つめて塩をとる製塩方法です。

揚げ浜式製塩法

揚げ浜塩田が受け継がれているのは日本で唯一、能登だけだそうです。

巨大な塩釜

道の駅の一角に塩を作る時に使用する「塩釜」が置かれていました。

塩釜

塩釜の説明

・この塩釜は、塩田の聖地・仁江海岸の釜屋で約七十年の間、使われてきたものです。

・塩釜のサイズは、直径百八十五センチ、深さ三十一センチ、重量九百八十キロです。

・一夜に、塩田で採るカン水(塩分の濃い海水)を六百リットル煮詰めると、塩が百キロできます。

・釜焚きの時間は二十二時間かかり、一回の釜焚きでトラック一台分の塩木(薪)を使います。

塩田村資料館

塩田村資料館に入ってみましょう。

入口には、塩や塩を使った特産品が販売されています。

そこを通り抜けると、塩田に関する資料が展示されており、知識を深めることができます。

塩田の歴史的変遷が説明されていました。

古い順に次ように塩田は変わっていきました。

  1. 藻塩焼き
  2. 揚げ浜式塩田
  3. 入浜式塩田
  4. 流下式塩田
  5. イオン交換膜法

ここ奥能登では、2つ目に古い方式での塩づくりが残っているということですね。

それぞれの説明の模型を、見て行きます。

藻塩焼き

海藻を使った塩づくりの方法で、古代の人々が考えだしたものです。まず、海藻をお天日に干して表面に白い塩のつぶをうきあがらせます。この塩つぶを海水で洗い流して濃い海水をつくり、これを土器に入れ、煮つめて塩水をつくります。藻塩焼きで用いられた土器は製塩土器とよばれ、縄文時代の終わりから奈良時代にかけて使われていました。

藻塩焼き

揚げ浜式塩田

海岸の砂浜を利用した塩田です。潮の満ち引きの差が小さい日本海側で多く見られました。人力でくみあげた海水を砂地の上にまき、日に当てて水分を蒸発させます。その砂をかき集めて海水をそそぎ、砂についた塩分を溶かすと、もっと濃い海水ができます。これを釜で煮つめて塩をつくっていました。

揚げ浜式

入浜式塩田

潮の満ち引きを利用して、海水を自動的に塩田に引き入れる方法です。入江や干潟を堤防でかこんだ塩田には、満潮のとき海水が自然に入ってくるよう溝が掘られていました。海水のしみこんだ砂から濃い潮水をつくる方法は、揚げ浜塩田と同じですが、海水をくみあげる作業などがはぶかれます。江戸時代から、瀬戸内海などで行われるようになりました。

入浜式塩田

流下式塩田

海水をゆるやかな傾斜をつけた粘土製の流下盤に流して塩をつくる方法です。海水はゆっくり流れるうちに、太陽熱で蒸発して濃い塩水となります。これを竹の枝で組んだ枝条架とよばれる装置の上からたらし、風力によりさらに水分を蒸発させます。この塩水を釜で煮つめて塩をつくりました。昭和30年代に用いられた方法です。

流下式塩田

イオン交換膜法

昭和47年から行われている最新の製塩方法です。海水をイオン交換膜とよばれる特殊な膜に通し、電気の力を使って濃い塩水をとりだします。これを集めて、真空式蒸発装置で煮つめると塩ができます。この方法により、広い塩田が必要なくなり、天候に左右されず、安定して塩をつくることができるようになりました。

イオン交換膜法

体験塩田

塩田村資料館を通り抜けると、体験塩田のエリアに出ました。

揚げ浜塩田の方式で、実際に塩づくりの体験ができる場所です。

体験塩田

体験塩田

塩水を海から運んでくるための、「かえ桶」です。

塩水を海から運んでくるための、「かえ桶」

今回は予約していないため、塩田体験はできませんでした。

残念です。

海の青が強い!

それにしても、「この季節は」なのか本日が特別なのか日本海は青が強くてきれいで見ていて飽きません。

日本海は青が強い仁江海岸

奥能登は魅力凝縮

奥能登は、能登の里山里海の魅力をギュッと凝縮したような場所です。

続いては、奥能登の先端をグルッと回って飯田湾の方向へ、見附島を目指します。

429 Too Many Requests

コメント