平泉は、世界遺産にも登録されている歴史ある街。
中尊寺を初めとした見所が満載です。
でも旅行で行く場合、どうしても時間は限られます。
例えば半日しか時間が取れないとしたら?
昨年8月、僕が旅行した時を例に半日でどこまで巡れるかご紹介します。
前回のあらすじ
AM8:00前に平泉駅に到着した後、柳御所遺跡と高館義経堂、そして中尊寺と巡ってきました。
この時点でAM10:00
あと、どれくらいの場所を巡ることが出来るでしょうか。
照井堰用水
中尊寺を下山し、次は毛越寺方面に向かいます。
中尊寺からは県道300号線の奥州街道を平泉駅方面に戻ります。
途中に右に上り坂の道があるので、そちらに逸れます。
(場所はここ)
「毛越寺庭園近道」の看板が目印です。
(AM10:10)
坂の途中には、照井堰用水があります。
約850年に開削された、日本でも有数の歴史ある水路です。
疎水百選に認定されています。
疎水百選 〜照井堰用水〜
この用水路は「照井堰」と呼ばれ、今から凡そ850年前に藤原秀衡家臣である照井太郎高春が、開削したのが起源と伝えられ、日本でも有数の歴史ある水路で平成18年に疎水百選に認定されました。
磐井川の厳美渓上流より取り入れた水は笹辺良分水工にて、平泉と一関に分水され、水路トンネルを経由し、太田川に注水し、姫待滝の下流にて日向堰として取水され、髢石の下を流れ、毛越寺浄土庭園・舞鶴ヶ池や無量光院に疎水し、中尊寺月見坂入口の下を経て、約16kmの流れは平泉の水田を潤し・人々に癒しを与え、衣川に落水する。
その日向堰の一部である花立幹線(毛越寺下流〜権九郎洞)の区間は、アドプト協定により「13区農家組合」が水路の清掃や緑化活動等の管理を行っています。
観自在王院跡
なだらかな坂道を上った後、今度は下り坂の道をしばらく進みます。
ここはちょっと距離がありますね。
本音を言うとレンタサイクルがあれば良かった・・・
(AM10:30)
しばらくすると毛越寺の隣に位置する、観自在王院跡に着きました。
ここは「吾妻鏡」に次のように収録されている地です。
観自在王院は阿弥陀堂とも号するなり
基衡の妻の建立なり。
四壁洛陽の霊地名所を図絵す。
仏壇は銀なり。高欄は磨金なり。
つぎに小阿弥陀堂も同人の建立なり。
舞鶴が池を中心とした浄土庭園は、平安時代の庭園の特徴を表しています。
毛越寺(もうつうじ)
(AM10:45)
観自在王院跡のすぐ隣が毛越寺です。
境内はここも、池を中心とした配置になっています。
往時の建物は残っていないものの、そのゆったりとした規模は十分に実感できます。
毛越寺伽藍復原図
平泉発掘調査団長東京大学名誉教授 藤島亥治郎博士考謳 光風会会員 白石隆一画伯絵
「その荘厳なること本朝無双なり」とうたわれた当時の諸堂宇と、今に残る浄土庭園の收麗な景を実地と対照して観賞されたい。
南大門跡
二階総門ともいい「金堂円隆寺」の勅額が掲げられてあった。礎石12個そのまま残る。桁行11.51m 梁間7.27m 左右に仁王像安置。天正元年3月(1574)焼亡。
池中立石
荒磯の風情を表現しています。
遣水(やりみず)です。
次のように説明されています。
遣水の遺構は奈良の宮跡庭園を除いては例が無く、平安時代の遺構としては唯一のものである。
「曲水の宴」の舞台ともなる場所です。
平泉はここまで
毛越寺の拝観を終え、11時過ぎになったので平泉駅に戻ります。
ちょうど平泉駅に着いてから約3時間くらいです。
平泉をじっくり観光するには少々駆け足だったかなと思います。
しかしJRで平泉を訪れる場合、電車は1時間に1本程度しか運行していません。
そのため電車の時刻をあらかじめ調べておいて、巡るプランを立てておく必要があります。
更に電車が遅れる可能性も、考慮しておく方が安心です。
(実際、この日は戻りの電車が遅延していました)
また、今回はレンタサイクル店が開く前に巡りはじめたため徒歩でした。
しかし午後からの観光などで時間が合えば、レンタサイクルを使うことでもっと余裕を持って巡ることができたかもしれませんね。
この後は昼食を
では午後から次の目的地に移動するため、いったん一ノ関に戻ります。
昼食は、この地方の名物である「あれ」にします。
(続く)
アラウンド47
このときが岩手県へ初訪問でした。
47都道府県の中の42番目を達成です。
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